お祝い
2008.05.08 (Thu)
先日、祖母が他界しました。
92歳で、どこも悪くなく、少しも苦しむこともなく、自宅で家族に見守られ、その最期を迎えました。
90歳を過ぎて亡くなるとお祝いなのだそうです。
何故か僕は祖母にとても似た空気を感じていました。
血が繋がっているのだから、当然といえば当然ですが、祖母のそばにいることが、とても心地よかったのです。
あの熱さなのかなぁ、あの歳には似つかわず、大きな身振り手振りを交えて、しっかりと目を見つめて、熱っぽく語るんです。
九十を過ぎて、『私はこう思うのよ!』と熱く語ったり、
『こういうふうに生きたいと思うのよ。』と未来を語るような祖母が大好きでした。
熱く、優しく、とても激しく、潔く、とても愛情深い祖母でした。
なにより、歌が好きな人で、よく歌を歌っていたのを覚えています。
ほとんど寝たきりのような状態になっても、声の艶は少しも衰えず、ものすごい美声でした。
セールスの電話をかけてくる人などには、自分の歳を言っても、いつも信じてもらえずに話しこまれてしまっていたそうです。
祖母の声を聞いていると、本当に声って最後まで衰えない器官なんだなとつくづく思いました。
祖母は若いころ、歌手になりたかったそうで、その美声から、周りからも歌手になることを強く勧められたそうですが、家が厳しく、女性が舞台に上がる仕事などするものではないと、結局許してもらえなかったそうです。
時代ですね。。。
祖母から何度も歌手になりたかったという言葉を聞きました。
きっと、僕がこの職業に進んだことを祖母はとても喜んでいてくれたと思います。
今となっては、もっと自分が歌っているところを祖母に聞かせたかったなぁ。とか、もっともっと祖母とたくさん話をしたかったなと思います。
どんなに精一杯接したとしても、人が亡くなったときは後悔ばかりですね。。。
昔、東洋医学を勉強していたときに、東洋医学の師匠に、
『自分だけのためにやろうとすることは、とても辛くなってしまうことがある。人間は使命だと思ってやると強いんだよ。
好きだと思ってやろうとしていること自体ががすでに使命なのだから、あなたは音楽を使命だと思って取り組んでいくといい。』
と言われたとこがあります。
これからは、おばあちゃんの夢も生きるつもりで取り組むことができるなと思うと、とても心強い気持ちになれます。
祖母の身体が危なくなってから、何度かお見舞いに通いました。
ほとんどしゃべれなかったのですが、意識ははっきりとしていたようで、話しかけると返事をしてくれたりしました。
いつもは普通にお見舞いに行って、普通に帰ってきたのですが、亡くなる前日にお見舞いに行ったとき、僕が帰ろうとすると祖母はとても淋しそうにしていて、帰り辛くなり、もうしばらく一緒にいました。
そして帰るときに、祖母に
『またね。』
と声をかけると、ほとんど動かなくなっていた祖母が力強く首を横に振りました。
翌日の午後、外出中に、祖母がもう1時間ほどだという知らせを受け、急いで祖母の元へと走りました。
しかし、戻る僕を待たずに祖母は亡くなりました。
家族皆に愛され、皆にみとられ、自宅で苦しまずに最期を迎えました。
祖母のお通夜と告別式に僕は祖母が大好きだった賛美歌を二曲歌わせていただきました。
死者の魂に向き合って歌う、初めての、そして、とても特別な感覚でした。
歌い手にとって、声を自分の身体から離していくということは、とても大切な感覚なのですが、このことは分かっていながらも、ほぼ例外なく誰にとっても怖い感覚なのです。
自分の身体から声を離せば離すほど、自分にとっては声を出している手応えがなくなり、自分の耳から声が遠くなっていきます。
しかし、その逆の声は、いわゆるソバナリと言われる声で、自分の側ではよく鳴っていて聞こえるけど、お客さんには声も想いも届きにくい声になってしまいます。
告別式の日、僕はいつになく、とても素直に自分から声を離すことができました。
僕はよく生徒に『地球と喧嘩しちゃだめだよ。』というような表現をするのですが、まさにその瞬間を身体で強く体感することができました。
その日、身体から声を離すと、ある一点を境として、声が重力の束縛から離れて急激に上昇していくのを感じました。
トップアスリートが助走を終えたときに全く力まずに慣性の法則に則って加速していくような感覚です。
ここまでの感覚は自分で歌っていても初めてで、歌いながらも驚きの感覚でした。
それはきっと、祖母の魂に対して特別な感情や想いがあったということと、
死者の魂という形のない向き合うべき対象と、声という形のない音というエネルギーが、お互い助け合った結果なのかもしれません。
僕は最近流行の変なスピリチュアル系みたいなのは好きではないですし、目に見えないことはよく分かりませんが、何か物理的にものすごく大きなエネルギーを感じたことは確かです。
音楽家や芸術家って、日々それに向き合って鍛錬し、そうしたことが、こうしたとても特別で大切な経験でさらに磨かれ結実し、成長していくんだなということを深く教えられました。
人は死んでもなお、何かを教えようとしてくれるものなんですね。
祖母は、生前とてもおしゃれな人で、とてもきれいな人でした。
僕と妹、兄妹は、祖母に、かわいい籠に入った、ピンクのお花でいっぱいのフラワーアレンジメントを祭壇にプレゼントしました。
おばあちゃん、喜んでくれたかな?
おばあちゃんの冥福を心から祈ります。
そして、これから、おばあちゃんの夢も一緒に生きるつもりで、音楽を、歌を楽しみたいと思います。
おばあちゃんに、心から感謝をこめて。
中西 健太郎
92歳で、どこも悪くなく、少しも苦しむこともなく、自宅で家族に見守られ、その最期を迎えました。
90歳を過ぎて亡くなるとお祝いなのだそうです。
何故か僕は祖母にとても似た空気を感じていました。
血が繋がっているのだから、当然といえば当然ですが、祖母のそばにいることが、とても心地よかったのです。
あの熱さなのかなぁ、あの歳には似つかわず、大きな身振り手振りを交えて、しっかりと目を見つめて、熱っぽく語るんです。
九十を過ぎて、『私はこう思うのよ!』と熱く語ったり、
『こういうふうに生きたいと思うのよ。』と未来を語るような祖母が大好きでした。
熱く、優しく、とても激しく、潔く、とても愛情深い祖母でした。
なにより、歌が好きな人で、よく歌を歌っていたのを覚えています。
ほとんど寝たきりのような状態になっても、声の艶は少しも衰えず、ものすごい美声でした。
セールスの電話をかけてくる人などには、自分の歳を言っても、いつも信じてもらえずに話しこまれてしまっていたそうです。
祖母の声を聞いていると、本当に声って最後まで衰えない器官なんだなとつくづく思いました。
祖母は若いころ、歌手になりたかったそうで、その美声から、周りからも歌手になることを強く勧められたそうですが、家が厳しく、女性が舞台に上がる仕事などするものではないと、結局許してもらえなかったそうです。
時代ですね。。。
祖母から何度も歌手になりたかったという言葉を聞きました。
きっと、僕がこの職業に進んだことを祖母はとても喜んでいてくれたと思います。
今となっては、もっと自分が歌っているところを祖母に聞かせたかったなぁ。とか、もっともっと祖母とたくさん話をしたかったなと思います。
どんなに精一杯接したとしても、人が亡くなったときは後悔ばかりですね。。。
昔、東洋医学を勉強していたときに、東洋医学の師匠に、
『自分だけのためにやろうとすることは、とても辛くなってしまうことがある。人間は使命だと思ってやると強いんだよ。
好きだと思ってやろうとしていること自体ががすでに使命なのだから、あなたは音楽を使命だと思って取り組んでいくといい。』
と言われたとこがあります。
これからは、おばあちゃんの夢も生きるつもりで取り組むことができるなと思うと、とても心強い気持ちになれます。
祖母の身体が危なくなってから、何度かお見舞いに通いました。
ほとんどしゃべれなかったのですが、意識ははっきりとしていたようで、話しかけると返事をしてくれたりしました。
いつもは普通にお見舞いに行って、普通に帰ってきたのですが、亡くなる前日にお見舞いに行ったとき、僕が帰ろうとすると祖母はとても淋しそうにしていて、帰り辛くなり、もうしばらく一緒にいました。
そして帰るときに、祖母に
『またね。』
と声をかけると、ほとんど動かなくなっていた祖母が力強く首を横に振りました。
翌日の午後、外出中に、祖母がもう1時間ほどだという知らせを受け、急いで祖母の元へと走りました。
しかし、戻る僕を待たずに祖母は亡くなりました。
家族皆に愛され、皆にみとられ、自宅で苦しまずに最期を迎えました。
祖母のお通夜と告別式に僕は祖母が大好きだった賛美歌を二曲歌わせていただきました。
死者の魂に向き合って歌う、初めての、そして、とても特別な感覚でした。
歌い手にとって、声を自分の身体から離していくということは、とても大切な感覚なのですが、このことは分かっていながらも、ほぼ例外なく誰にとっても怖い感覚なのです。
自分の身体から声を離せば離すほど、自分にとっては声を出している手応えがなくなり、自分の耳から声が遠くなっていきます。
しかし、その逆の声は、いわゆるソバナリと言われる声で、自分の側ではよく鳴っていて聞こえるけど、お客さんには声も想いも届きにくい声になってしまいます。
告別式の日、僕はいつになく、とても素直に自分から声を離すことができました。
僕はよく生徒に『地球と喧嘩しちゃだめだよ。』というような表現をするのですが、まさにその瞬間を身体で強く体感することができました。
その日、身体から声を離すと、ある一点を境として、声が重力の束縛から離れて急激に上昇していくのを感じました。
トップアスリートが助走を終えたときに全く力まずに慣性の法則に則って加速していくような感覚です。
ここまでの感覚は自分で歌っていても初めてで、歌いながらも驚きの感覚でした。
それはきっと、祖母の魂に対して特別な感情や想いがあったということと、
死者の魂という形のない向き合うべき対象と、声という形のない音というエネルギーが、お互い助け合った結果なのかもしれません。
僕は最近流行の変なスピリチュアル系みたいなのは好きではないですし、目に見えないことはよく分かりませんが、何か物理的にものすごく大きなエネルギーを感じたことは確かです。
音楽家や芸術家って、日々それに向き合って鍛錬し、そうしたことが、こうしたとても特別で大切な経験でさらに磨かれ結実し、成長していくんだなということを深く教えられました。
人は死んでもなお、何かを教えようとしてくれるものなんですね。
祖母は、生前とてもおしゃれな人で、とてもきれいな人でした。
僕と妹、兄妹は、祖母に、かわいい籠に入った、ピンクのお花でいっぱいのフラワーアレンジメントを祭壇にプレゼントしました。
おばあちゃん、喜んでくれたかな?
おばあちゃんの冥福を心から祈ります。
そして、これから、おばあちゃんの夢も一緒に生きるつもりで、音楽を、歌を楽しみたいと思います。
おばあちゃんに、心から感謝をこめて。
中西 健太郎
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