ひびおもう

音楽家、ボイストレーナーとして活動する中西健太郎のblogです。
音楽やアート、世の中で日々起きることに触れ、
感じることを素直な気持ちで書き綴っていきます。


お祝い
先日、祖母が他界しました。

92歳で、どこも悪くなく、少しも苦しむこともなく、自宅で家族に見守られ、その最期を迎えました。

90歳を過ぎて亡くなるとお祝いなのだそうです。


何故か僕は祖母にとても似た空気を感じていました。
血が繋がっているのだから、当然といえば当然ですが、祖母のそばにいることが、とても心地よかったのです。

あの熱さなのかなぁ、あの歳には似つかわず、大きな身振り手振りを交えて、しっかりと目を見つめて、熱っぽく語るんです。

九十を過ぎて、『私はこう思うのよ!』と熱く語ったり、
『こういうふうに生きたいと思うのよ。』と未来を語るような祖母が大好きでした。

熱く、優しく、とても激しく、潔く、とても愛情深い祖母でした。


なにより、歌が好きな人で、よく歌を歌っていたのを覚えています。
ほとんど寝たきりのような状態になっても、声の艶は少しも衰えず、ものすごい美声でした。

セールスの電話をかけてくる人などには、自分の歳を言っても、いつも信じてもらえずに話しこまれてしまっていたそうです。

祖母の声を聞いていると、本当に声って最後まで衰えない器官なんだなとつくづく思いました。


祖母は若いころ、歌手になりたかったそうで、その美声から、周りからも歌手になることを強く勧められたそうですが、家が厳しく、女性が舞台に上がる仕事などするものではないと、結局許してもらえなかったそうです。

時代ですね。。。

祖母から何度も歌手になりたかったという言葉を聞きました。


きっと、僕がこの職業に進んだことを祖母はとても喜んでいてくれたと思います。

今となっては、もっと自分が歌っているところを祖母に聞かせたかったなぁ。とか、もっともっと祖母とたくさん話をしたかったなと思います。

どんなに精一杯接したとしても、人が亡くなったときは後悔ばかりですね。。。


昔、東洋医学を勉強していたときに、東洋医学の師匠に、

『自分だけのためにやろうとすることは、とても辛くなってしまうことがある。人間は使命だと思ってやると強いんだよ。

好きだと思ってやろうとしていること自体ががすでに使命なのだから、あなたは音楽を使命だと思って取り組んでいくといい。』

と言われたとこがあります。

これからは、おばあちゃんの夢も生きるつもりで取り組むことができるなと思うと、とても心強い気持ちになれます。



祖母の身体が危なくなってから、何度かお見舞いに通いました。
ほとんどしゃべれなかったのですが、意識ははっきりとしていたようで、話しかけると返事をしてくれたりしました。

いつもは普通にお見舞いに行って、普通に帰ってきたのですが、亡くなる前日にお見舞いに行ったとき、僕が帰ろうとすると祖母はとても淋しそうにしていて、帰り辛くなり、もうしばらく一緒にいました。

そして帰るときに、祖母に
『またね。』

と声をかけると、ほとんど動かなくなっていた祖母が力強く首を横に振りました。


翌日の午後、外出中に、祖母がもう1時間ほどだという知らせを受け、急いで祖母の元へと走りました。

しかし、戻る僕を待たずに祖母は亡くなりました。

家族皆に愛され、皆にみとられ、自宅で苦しまずに最期を迎えました。




祖母のお通夜と告別式に僕は祖母が大好きだった賛美歌を二曲歌わせていただきました。

死者の魂に向き合って歌う、初めての、そして、とても特別な感覚でした。


歌い手にとって、声を自分の身体から離していくということは、とても大切な感覚なのですが、このことは分かっていながらも、ほぼ例外なく誰にとっても怖い感覚なのです。

自分の身体から声を離せば離すほど、自分にとっては声を出している手応えがなくなり、自分の耳から声が遠くなっていきます。

しかし、その逆の声は、いわゆるソバナリと言われる声で、自分の側ではよく鳴っていて聞こえるけど、お客さんには声も想いも届きにくい声になってしまいます。


告別式の日、僕はいつになく、とても素直に自分から声を離すことができました。

僕はよく生徒に『地球と喧嘩しちゃだめだよ。』というような表現をするのですが、まさにその瞬間を身体で強く体感することができました。


その日、身体から声を離すと、ある一点を境として、声が重力の束縛から離れて急激に上昇していくのを感じました。

トップアスリートが助走を終えたときに全く力まずに慣性の法則に則って加速していくような感覚です。

ここまでの感覚は自分で歌っていても初めてで、歌いながらも驚きの感覚でした。


それはきっと、祖母の魂に対して特別な感情や想いがあったということと、
死者の魂という形のない向き合うべき対象と、声という形のない音というエネルギーが、お互い助け合った結果なのかもしれません。

僕は最近流行の変なスピリチュアル系みたいなのは好きではないですし、目に見えないことはよく分かりませんが、何か物理的にものすごく大きなエネルギーを感じたことは確かです。


音楽家や芸術家って、日々それに向き合って鍛錬し、そうしたことが、こうしたとても特別で大切な経験でさらに磨かれ結実し、成長していくんだなということを深く教えられました。

人は死んでもなお、何かを教えようとしてくれるものなんですね。



祖母は、生前とてもおしゃれな人で、とてもきれいな人でした。
僕と妹、兄妹は、祖母に、かわいい籠に入った、ピンクのお花でいっぱいのフラワーアレンジメントを祭壇にプレゼントしました。

おばあちゃん、喜んでくれたかな?



おばあちゃんの冥福を心から祈ります。



そして、これから、おばあちゃんの夢も一緒に生きるつもりで、音楽を、歌を楽しみたいと思います。


おばあちゃんに、心から感謝をこめて。



中西 健太郎
- / 10:48 / - / -
どうした?ウォン・カーワイ!
先日、マイ・ブルーベリー・ナイツを観てきました。

僕は、ウォン・カーワイの作品は
『恋する惑星』『天使の涙』『ブエノスアイレス』『花様年華』などいくつかみていますが、それぞれに個性があって、好きな監督の中の一人です。

しかし、今回のマイ・ブルーベリー・ナイツを観て、かなりガッカリしてしまいました。

彼はこの映画で何をしたかったのだろう。。。

全てのアプローチが中途半端に思えてなりませんでした。

『恋する惑星』みたいに、内容はそんなにあるわけじゃないけど、ものすごくポップでおしゃれでセンスよくって、みたいな感じならそれはすごく楽しいと思うんです。

でも、そんなアプローチというわけでもなく、カメラワークも不必要なカットやエフェクティングが全体の印象を邪魔してしまってるように思えてなりませんでした。

『恋する惑星』の時のクリストファー・ドイルのカメラの手ぶれ感とか、躍動感とか、popなセンスはすごく好きなんだけどなぁ。。。

この作品はウォン・カーワイが『恋する惑星』の時の表現に戻り、それをアメリカの地で完成させた。のようなことが書かれていますが、

今回は『恋する惑星』の時のような軽快さもおしゃれなPOPさも感じられず、かといって何か心理描写を描いているわけでもなく、ロードムービーのような旅してる感全快な訳でもなく、終始ウォン・カーワイは何をしたかったのだろう?とガッカリさせられた気持ちになってしまいました。


続きはまた次回に書かせていただきますね。

それでは。




中西 健太郎
info@kosmosflower.com
(感想や質問などございましたら、お気軽にお寄せください。)

 
- / 08:58 / - / -
ギリギリは、あと一息の証
みなさん、こんにちは。
前回のブログから一月以上もご無沙汰してしまいました。


最近、公私においてさまざまな大きな変化があり、色々と安定しない時期を過ごしていました。

一時期は自分としても精神状態が、かなりギリギリだなと感じていた時もあったのですが、その中で自分と向き合い、なぜこのようなことが起きているのかな。

どうしていったら改善していけるのかななどと想い続けていたら、色々なことがいい方向に流れてきました。

やはり大きな変化を生むときというのは、かなり厳しい状態や、きつい選択を迫られたりするものですね。

そして、結果が出る直前ほど、ギリギリの状態まで追い詰められとても辛いものですね。


しかし、やはりどんなことにも、必要なだけ時間ってかかるものですよね。

その時間をあきらめることなく待つことができるかというのは、とても大切な仕事だなと改めて思いました。

『待つ』ということは人生で最も大切な仕事の一つなんでしょうね。



さて、KosmosFlowerのレッスンにはプロを目指す方や、プロの方に多く通っていただいています。
この職業をさせていただいていて、やはり同じように思うことがあります。

一つのことに向き合い、大きな結果を出そうとしたり、一つの作品をつくり出そうとすることって、とても楽しい作業ですが、時にはとてもきつく、大変な作業でもあります。

精神的に折れてしまいそうになることは、何度も訪れることだと思います。


でも、もっともきついときこそ、大きな結果が待っていたり、その結果がすぐ直前に迫っていたりするものですね。

けれど、自分ではゴールはなかなか見えないもので、その直前であきらめてしまったり、折れてしまったりする人がとても多いように思います。


僕は、この職業をさせていただいていて、そういった瞬間を目にすると、とても切なく、もう一歩なのに、あと少し気持ちが待てれば、素晴らしい結果を手にすることができるのに。。。

と、なにか、スターウォーズのダースベーダを見るような、とてもやるせない気持ちになります。


僕の職業はもちろん、日々のレッスンを質の高いスキルやメソッドで行わせていただくということはとても大切なのですが、

こうした表現者の繊細な心をサポートしていくことは、とても大切なことなんだなと改めて思いました。


自分が今回改めてこういう思いをして、一つ乗り越えていくことができて、そうした場面に向き合っている人たちの気持ちがまたもう一つ深く理解できて、さらにサポートしていくことができればと思います。



それでは、また次回に。




中西 健太郎
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- / 16:19 / - / -
Bjork Volta tour in 武道館  2days その2
それでは、前回の続きです。

前回をお読みでない方はBjork Volta tour in 武道館  2days
をお読みください。



そして、その演奏をパーフェクトにサポートしていたのが、バックをサポートしているバンドのメンバーです。


特に秀逸だったのは、ドラムのクリス・コルサーノ。
彼のドラミングは驚異的でした。

特にバスの音圧はものすごい迫力があるのに、けっしてうるさいと感じさせず、音量ではなく厚みで伝わってくるような感覚です。

空気の壁がこちら側に押し出されてくるような圧迫感を感じます。

ドラミング一つ一つの音に深みがあります。
決してそれを音量で感じさせないので、バンドのアンサンブルを崩しません。

いいなぁ、あんなドラマー理想的だなぁ。。。

ネットで検索してみたら、フリージャズの坂田明さんなどと一緒に演奏をしているんですね!

今度是非聴いてみたいなぁ!!


それから、あんまりうまくないアイスランドの10人編成のブラス隊!
もちろん、これはBjorkは狙ってるわけです。

Bjorkだったらどんな腕利きのミュージシャンでも使えるわけですが、たとえばこのブラスがジョシュア・レッドマンとか、ウィントン・マルサリス

のような凄腕のミュージシャン達の集まりのような感じだったら全然面白くないと思うんです。

むしろ、素人っぽいとすら言えるような豪快なフレーズ感や、恐れを知らない第一声の潔さ。ちょっとした呼吸感のずれ。

こういった演奏が全体をラフなグルーブへと導いていきます。


それから、個人的にツボだったのは、キーボーディストのおっさん、ヨナス・サンド。

彼が、明らかにクラシックを勉強してたのね。という感じで。。。
親近感を覚えてしまいました。(笑)

ビョークが歌っているときの呼吸を一生懸命見て、フレーズの変わり目で一緒に呼吸をして、「せーのっ」で強拍をしっかり打鍵してくる感覚。

これが、Bjorkの音楽の中に入ってくると少し不器用に感じて。

でもその不器用さを、どこかで、「あぁーーー、わかるぅーーー!!」と共感してしまってる自分がいて。。。(笑)

そんな演奏が全体にまた色を一つ加えていくのです。


それから、いつもの素晴らしいパフォーマンスのマーク・ベル(LFO)。

HyperballadがLFOのfreakにつながっていき、最後はには武道館全体がクラブ状態になってしまうかのようなアレンジと演出には鳥肌ものでした。

22日の公演は、マーク・ベルがお誕生日だったらしく、BjorkがMCで、私がアイスランド語でハッピーバースデーを歌うから

みんなは日本語で歌ってねとい言って歌いだしたアイスランド語のハッピーバースデーがめちゃめちゃかわいかったのですが、

武道館のオーディエンスは完全に置き去りにされてしまいました。

「Bjork、僕達英語で歌ってるんですって。。。」


そして、もう一人のエレクトロ部隊、ダミアン・テイラー。

彼はreactableなどを使っていましたが、僕はちょっとこの辺は弱いので、以下のサイトにダミアン・テイラーとreactableなどについて詳しい記事が書かれていたので参考にしてください。

http://wiredvision.jp/news/200708/2007082121.html


とにかく、彼が終始ジャンプしてて、めちゃめちゃ目立ちたがり屋さんみたいな感じだったのがとてもキュートでした。

エンジニア屋さんって普通もっと静かな人がおおいのにね。



そう、そしてこの個性豊かというか、めちゃめちゃな人選を一つのサウンドに強烈にまとめ上げてしまうのが、Bjorkの個性なのです。

こんなメンバーで演奏したら普通、空中分裂を起こして、音楽として聴けたもんじゃないと思うんです。

でも、それぞれの素晴らしい個性を色褪せさせることなく、むしろ最大限に引き出し、Bjorkのサウンドとして強烈にまとめ上げ、作品として昇華させていく。

このあたりが、Bjorkの真価だと思うのです。



そして、最後にBjorkの声。
彼女の声には何度聴いても、とてつもない衝撃を与え続けられます。

生命とは、かくも力強きものかと

深く深く感じさせられます。。。


また、それがあのBjorkの小さな身体から生み出されているということが驚異的です。

最前列でそのパフォーマンスを見れて、ヴォーカルコーチとしても大変勉強になるものがありました。

新しいメソッドとして取り入れることができそうです。


細かいテクニカルなことにも触れるならば、
もう、喉の開き方が半端じゃありません。。。





Bjorkという音楽家は作曲家として、プロデューサーとしてなどさまざまな魅力や才能を持ちますが、彼女の一番の個性と魅力は『あの声』

『Bjorkの声』そのものだと思います。

あの小さい体を振り回しながら、全てのエネルギーをつぎ込んで、オーラや魂を震わせ、宇宙の法則と渾然一体となって振り絞られていく、あの声

あれこそがBjorkそのものなんだなと改めて感じました。




そうして、最後の時を迎える二日間

このliveが永遠に続けばいいのにと願いつつ

感動とともに、切なさをいっぱいに抱えて武道館を後にしました。



中西 健太郎
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Bjork Volta tour in 武道館  2days
Bjork Volta tour in 武道館、2月19日、22日両日とも行ってまいりました。

僕が世界でもっとも愛する音楽家であり、芸術家。
Bjorkは僕にとって女神のような存在です。

さてそのlive、19日はアリーナ最前列、22日は1階席正面3列目。
間近でBjorkを見、全体を見渡すという、これ以上ない理想的なチケットでした。



今回は新作Voltaを掲げてのtourです。
僕自身、Bjorkのライブは2003年のFujiロック以来、5年ぶりでした。

さて、緊張の初日です。
liveは15分押しでスタートしました。

Earth Intrudersから幕を開けた今回のtourですが、過去見た2度のliveと同様、異次元空間でした。

どうしてだろう。。。ファンということだけでなく、Bjorkのライブは異質です。

まったくの異次元。
他のどんなミュージシャンでもあのような気持ちになったことはありません。

言うなれば、UFOにさらわれて、気づいたら草原に横たわっていたような。

UFOにさらわれたのは、夢だったのだろうか?
どうして僕は今、この草原に横たわっているのだろうか?

というような、もしくは、

ライブのエネルギーが会場ごと浮遊させ、異次元へと導き、終わった瞬間に現実世界に放り投げられるような。。。

そんな感覚に陥るのです。

彼女は、空間、宇宙に存在するエネルギーの法則を、意識的か、無意識的か把握し、その力を最大限に生かした表現をします。

僕の最も理想とする表現です。



今回2度のライブを観て、Bjorkが新作Voltaでやりたかった世界感というのをやっと共有できたような気がしました。

インタビューを読んでも決して理解できなかったことが、彼女のliveを体感することによって、

「あぁ、Bjorkはこういう想いで作ったんだな。」「こういう想いを作品にこめていたんだな。」ということが、理屈でなく、liveを通して、体に直接伝わってきました。

素晴らしい表現力です。

Bjokの魅力はもちろんCDを聴いても、DVDを観ても本当に素晴らしいのですが、本当の魅力はどうやってもパッケージできないところにあると思います。

Bjorkと同時代に生き、体感できる幸せを強く感じます。


芸術家っていくつかの生き方があって、作品に対して多かれ少なかれ、こう理解してほしいという説明を暗に、もしくは表立って表していく手法と、

どう解釈されようが一切の説明をはさまずに、タダひたすらにやりたいことをやるという表現手法など色々あると思うのです。

前者はより、POP。大衆に近づいていきます。後者はとても崇高な芸術作品として存在していく傾向があります。

もちろん、優劣がつく問題ではなく、その人の個性や生き方の問題だと思います。


Bjorkの個性は明らかに後者です。
Bjorkはいつも平然とやりたいことにただひたすらと進みます。

「これが、私の音楽なの。」
「もし私の音楽がそうであるなら、私はどんな表現でもできるわ。」

とばかり突き進んでいきます。

そんなBjorkに僕はしばし置いてきぼりをくらうのですが、作品を残しっぱなしにするのではなく、

本当に理解したいと思う人に対して、愛情のある回答をしてくれるところが、Bjorkが表現者として素晴らしいところで、僕が最もBjorkを愛する所以でもあります。

このBjorikの深く、大きな愛情こそが、独りよがりな芸術に陥らない、同時代の感性に大きく支持される所以なのでしょう。



今回のlive、Bjorkからものすごく野性的な表現を感じました。

演奏からも、Vespertineの時のような完成されたフレーズの隅々まで意識がとどいたこの世のものとは思えない美しい表現ではなく、荒々しいともとれるような、アグレッシブな表現です。

歌のピッチが多少フラットしたり、フレーズの終わりををブツっと荒々しく切ったりしながら、とにかくアグレッシブにエネルギーをぶつけてきます。

ライブハウスで演奏を聴くようなラフさが今回の演奏には満ち溢れていました。


もし、このテンションで、逆に全くピッチがぶれなかったり、フレーズを丁寧に扱いすぎていたりしたら、今回のような魅力は半減してしまうどころか、

何かオーディエンスに対して違和感を残していたと思うのです。

こういったところを、無意識でやってしまうところが、音楽性がまったくぶれない、Bjorkのすごいところです。

『こう演奏したい』という気持ちが、結果『こういうフレーズ感』にさせるわけです。


では、今回はここまでにさせていただいて、また次回に続きます。




中西 健太郎
info@kosmosflower.com
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